白い輪 読谷村史編集室 読谷村戦後復興資料データベース

ID:000004 1946年4月30日 作成

帰村に関する行政文書

村民の移動促進方に関する請願

村民の移動促進方に関する請願
先般全沖縄の各市町村長が任命せられ 今や各市町村が非常なる意気込みを以て産業、教育、衛生、その他総る方面に亘りその復興建設に邁進せられつつ有之候事はまことに御同慶の至りに存じ申候
然るに読谷村は今まで約半歳に至り村民の移動促進方を哀訴歎願致候へ共今にその見透しさえ付かず、戦前より戦後にかけて全沖縄中最大の犠牲を払われたる読谷1万3千有余の村民は今尚各地に散在して所謂避難民扱い(表面は合法的なるも事実は厄介者扱い)されつつあるは実に遺憾の極みにて 一視同仁を政治の要締とせらるる今日看過すべからざる重大事と存じ候
惟うにその移動遅延の理由として「受入地区隊長は海軍であり読谷駐屯軍は陸軍なるが故交渉困難とか、爆発物埋蔵の為危険とか、或は今尚米軍駐屯せるが為とか」その理由は種々有之候はんも 如何に接渉がむつかしくともその労を惜まず度重ぬれば遂に諒解せらるる事有之。爆発物の危険もそのまま放置せず取り除き方を講ずれば敢て不可能の事も無之。尚又米軍駐屯の為到底村民の移動不可能とあれば読谷に近き越来、美里の一地域を画して切めて国頭方面に居る5千5百余の読谷村民をその方に移動して安住せしむる事も一策かと存じその方法は多々可有之と愚考仕り侯
若し■[彼]も出来ず之を不可能と現在のままに放置せられんか読谷村民は益々精神、物質両方面の生活苦が増大するのみ

資料ID
000004
作成日
1946年4月30日
資料名
帰村に関する行政文書
件名
村民の移動促進方に関する請願

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