1946年9月1日
読谷村長 知花英康
沖縄民政府総務部長 又吉康和殿
読谷村建設中止に関する件
戦前より戦後にかけて全沖縄中最大の犠牲を払わされたる読谷村は8月6日村民移動並耕作耕作許可指令を受け村民一同欣喜雀躍直に6百有余の先遣隊を派遣して建築に耕作に日に夜を継ぐ涙ぐましい働きを以て本月中旬から愈々住民移動開始の予定であります。然るに突然建設中止命令の伝達に接し吃驚仰天終夜熟考致しました結果、斯くては到底読谷村の再建は出来ない[■]したがって村長の存在も無意味であるから小職は本日限り断然辞職致します。
就てはその善後措置に付民政府に於て可然善処相成度特に左記事項に就ては可然御取り計り願います。
記
一、御命令により一般建設隊は本日限り現場を引上げしむるも波平、高志保2ヶ部落に集積たる多量の建築資材、農工具、食器類等あるが故右守護の為住民移動可否の見通しのつく迄巡査部長[■]監視隊員12名、工事監督駐在員1人、資材確保隊員50人計64人を現場に■留せしむる事而してその給料及食費は民政府より賄はれ度きこと。
- 資料ID
- 000011
- 作成日
- 1946年9月1日
- 資料名
- 帰村に関する行政文書
- 件名
- 読谷村建設中止に関する件