歎願書
当字は戦前戸数73戸人口315名で、全戸農業を以て生活を営み、1戸当耕作面積は約8反5畝(村平均7反)土地肥沃にして豊富なる農産物により字民は相当裕福なる生活を営んで居りました。
然るに戦後本村南区域は旧大木部落に集団生活を余儀なくされ、水不足による生活苦を味い居り、殊に農耕地は1.5キロメートル乃至2キロメートルの地点にありて、徒らに往復に時間を空費して農耕の能率を低下せしめ、加うるに5時以後の婦女子の通行は危険でありまして、増産に支障を来たして居るのであります。
現在の当字旧屋敷は雑草生い繁り、藪蚊の発生物凄く恰も伝染病培養地の感を深くするのであります。字民の燃ゆるが如き愛郷心は一刻も速く元の屋敷に帰り屋敷の清掃美化に努め落付いて生業に励み度い気で一杯であります。
当字民は資性温順にして戦前より現在に至るまで一人の犯罪人も出した例がありません。
幸いにして我が字民の熱望する居住許可なりました曉は如何なる軍指令並民政府指令もこれを堅く遵奉し以て沖縄復興に邁進する事をここに堅く御誓いする次第であります。
- 資料ID
- 000052
- 作成日
- 1949年
- 資料名
- 帰村に関する行政文書
- 件名
- 歎願書